
三軒茶屋駅前の国道246号線と世田谷通りの分岐点に挟まれた商店・飲食店が並ぶ通称「三角地帯」をテーマにした展覧会「三軒茶屋 大三角地帯展-ひらき、ひもとく記憶と記録-」の関連イベント「古地図でめぐる三角地帯」が2月7日に開催された。
展覧会の会場「生活工房ギャラリー」(キャロットタワー3階)からスタート
講師は、法政大学江戸東京研究センター客員研究員、昭和女子大学歴史文化学科非常勤講師の金谷匡高(かなや・まさたか)さんと、世田谷マップDXプロジェクトチーム代表の男鹿芳則(おじか・よしのり)さん。当日は、地元の人や三茶に住んでいた人ら10人が参加した。
金谷匡高さん。近代建築史・都市史を専門として世田谷の歴史を調べているフィールドワークのプロ
男鹿芳則さん。世田谷の現在の地図と昔の地図を重ねて見られる地図アプリを開発している
三角地帯は、戦後復興後に建てられたマーケット(木造の低層の建物が並ぶ商業施設)が起源で、今もその形状が残っているが、周辺にも5カ所のマーケットが存在したという。同イベントでは、古地図と写真を見比べながら昔のマーケットや街の面影をたどった。
<現在>
まち歩きしたスポット。三角地帯(8)(9)エリアには多くの飲食店・商店が立ち並ぶ
<1937(昭和7)年:大日本職業別明細図>
広告費を払った店が掲載されているため、それ以上に多くの店が戦前から集積していた
<1947 (昭和22)年:戦災焼失地図>
1945(昭和20)年、戦災を受けたエリアは黄色。建物疎開(延焼を防ぐ目的で強制的に空き地に)されたエリアは緑色。三角地帯や茶沢通りは店があった中、被災したことが分かる
太子堂かいわいは「太子堂村」という農村エリアだったが、1921(大正10)年ごろに太子堂府営住宅地(公的賃貸住宅)になり、公設市場も設けられた。戦時中に焼失し、戦前から計画されていた茶沢通りが造られた。
三軒茶屋駅方面に向かって撮影。左は茶沢通り、右はかつての農道
「大三角地帯」で展示されている1961(昭和26)年の写真。上記写真とほぼ同じ場所から撮影。「東栄メリヤス」の建物は今も残っている
太子堂中央街側から烏山川緑道側付近まで200メートルほど続く商店街。台東区下谷(したや)にあった商店街が1923(大正12)年の関東大震災で焼失し、昭和初期、戦前に移転してきたといわれている。当時は三茶で一番にぎわっていた街だったそうだが、バブル期以降の駅前開発の影響で衰退していったという。2017(平成29)年からは、かつてのにぎわいを復活させるイベントも開いている。
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下の谷商店街。左側には昨年10月に閉店した銭湯「富士見湯」がある
現在の「三軒茶屋ふれあい広場」かいわいにあったマーケット。戦後、焼け野原になったエリアに戦前から計画されていた茶沢通りができ、周りに商店が集まるようになった。1955(昭和30)年ごろの記録によると、通り沿いに店はあるが裏側は住宅になっていたことから、徐々に縮小されていったと見られる。
1953(昭和28)年の記録によると、靴、写真、文具、金物、精肉店、うどん店、菓子店など30店ほど入っていたという。当時、職人約30人が建物を破壊する事件が起こり、街の治安が問題視されたとか。1970年代に不審火による火災で消失した後、ブンカビルが建てられ再び複数の店が入居し、徐々に現在の構造に変化していった。数年前までドラッグストア内に毛糸屋があったり、今もお直しの店が入っていたりする。
茶沢通り側から文華デパート跡地に立つ「ブンカ名店街」(ブンカビル)
現在のブンカビル。左のマクドナルドは1970年代から営業している
「大三角地帯」で展示されている1958(昭和33)年の文華デパート。上記写真とほぼ同じ場所から撮影
国道246号線沿いのカラオケ館周辺にあったマーケット。1964(昭和39)年の東京オリンピック開催前の道路拡張に伴い、立ち退きとなった。カラオケ館隣の「ニシザワタバコ」は、元々は金物店だったが現在の場所に倉庫を持っていたため、立ち退き後に土地を回収できたという。
2014(平成26)年に閉館した「三軒茶屋シネマ」があった場所。
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「三軒茶屋シネマ」跡地は「肉のハナマサ」に。看板は今も残っている(写真奥)。ハナマサの上は休業中の「三軒茶屋バッティングセンター」
現在の「ゆうらく通り」一帯。1953(昭和28)年の資料によると、当時はパチンコ店が並んでいたという。パチンコの歴史でいえば、戦時中は不要不急産業として全面禁止だったが、1946(昭和21)年の終戦後に復活し全国に普及した。そのためか、通りの名前も「遊楽」なのかもしれない。
ゆうらく通り。この辺りは、かつては1階が店舗、2階が住居だったが、今は店や倉庫になっている
今年で75周年の「エコー仲見世商店街」。戦前から日用品などの小売市場として存在するエリア。元々は屋根のない青空市場だったが、1952(昭和27)年にアーケードを設置した。
三軒茶屋仲見世商業協同組合(三軒茶屋エコー仲見世商店街)事業部長で器ギャラリー「絵れ菜Tokyo」店主の村上大輔さん。祖父は、現在の「いきなりステーキ三軒茶屋店」の場所にあった「大野カバン店」を営んでいた
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「絵れ菜」の向かいの古着店「PFP CLOTHING STORE」2階販売スペースから見たアーケードの内部
村上さんから参加者に配られた「エコー仲見世商店街」75周年記念のドリップコーヒーと茶葉ブレンド、抹茶煎餅のセット
まち歩きは2時間ほどで終了。1977(昭和52)年から世田谷に住む参加者の女性は「2020年代になって急速に三茶の風景が変わっていったので、ちゃんと見ておこうと思って参加した。下の谷商店街のにぎわいを見ていたから、当時を思い出してキュンキュンした」と笑顔で話していた。「本屋も減ってきて文化が消えてきている。三軒茶屋シネマは復活してほしいし、三角地帯は残り続けてほしい」という願いもあるという。
昔の地図と写真、地元の人の話を聞くことで浮かび上がってくる風景や街の活気など、新しい発見も多く、そこから未来の三茶を考えるきっかけになる企画だった。
「大三角地帯展」内の三角地帯周辺マップ。来場者による情報や思い出が書かれた付箋紙で埋められている。最終日まで、三茶を知る人たちの情報や資料も随時募集している
展覧会は3月22日まで。会場の「生活工房ギャラリー」は、2027年の移転に向けて本展を最後に閉館。当日19時~20時30分はクロージングイベントを開催。本展の振り返りや壁面への寄せ書き、歓談の時間を設ける。参加費無料。